発祥元祖 氷見うどん 高岡屋本舗

創業二百五十余年、発祥・元祖、氷見うどん高岡屋本舗|富山のお取り寄せ|

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富山の高岡屋 氷見うどんのお取り寄せ

富山高岡屋の氷見うどん
 
250年以上の歴史 富山氷見うどん発祥の「氷見糸うどん」を唯一今日まで伝えてきました。
 
富山の氷見うどん 由来
純手製 氷見糸うどん
富山の氷見うどん発祥の元祖は高岡屋「氷見糸うどん」の歴史にあり、氷見うどんの由来は氷見糸うどんに始まります。その起源は250年以上も前の江戸中期(宝暦元年1751年)に当高岡屋創業の初代 弥三右衛門が能登門前の総持寺のうどんを作り食べる習わし、能登輪島のそうめん座から技術などを採り入れ、富山氷見の地で「糸うどん」の製法を編み出し始めたことからと伝えられています。
以来この「糸うどん」「氷見糸うどん」は加賀藩前田候の御用達うどんとして献上されていました。
また、この逸品は当時氷見町でも取り仕切られており、現在は当本舗で「一糸伝承」とする名物品として孤塁を墨守し、当時から唯一すべて人の手づくりによる製法で家伝とし、門外不出に今日までに受け継いでまいりました。
当社製品には、「氷見うどん」とされる中でも、そうした元祖だけが唯一受け継いで来た「純手製」のものと、それを基に生まれた「手延」のものが広くご好評をいただき各種製造販売いたしております。
純手製 氷見糸うどん 富山 お取り寄せ
 
 
富山 氷見うどんの製法
 
富山・元祖高岡屋の氷見うどんの製法は二通りあります。
一つは、氷見うどんの元祖である氷見糸うどん純手製「一糸伝承」の製法。
二つ目は、その元祖の製法をもとに生まれた「手延」の製法があります。

氷見うどんの元祖の製法は、当高岡屋に唯一江戸中期から250年以上に渡って受け継がれて来た、家伝職人のすべて手作業により手打ち・手延べ・手縒りによる技で作り上げる完全手造りの門外不出のうどんです。
そして、この元祖の伝統の技を基にして生まれた製法のものが「手延」とする製品に注がれ加わっています。   
 これらは、どちらも手延べうどんとされるうどんですが、元祖の方は江戸時代から続く手延べで、全国的にも稀で日本三大手延べうどんの歴史ともされ、その伝来の歴史をご紹介します。

富山氷見うどんの元祖氷見糸うどん「一糸伝承」は高岡屋創業の初代弥三右衛門が、能登門前の総持寺、能登輪島のそうめん座から技術などを採り入れ氷見の地で「糸うどん」の製法を編み出したと伝えられています。

その能登には、中世に中国に留学した禅僧がさらに進んだそうめんを持ち帰り広まったとされ、これが能登門前にある曹洞宗の大本山総持寺祖院の僧侶に関与し、能登輪島のそうめんにつながったとされています。
そこで、当高岡屋の氷見名物糸うどんのルーツはこの総持寺ではないかとされております。
鎌倉時代に開山したこのお寺は、最盛期には全国1万6309もの末寺の頂点に君臨し各地から大勢の僧侶達が訪れて「一夜住職」を務め、寺を預かる資格を得て故郷に帰っていく。その時に全国に持ち帰って広まったのが素麺であり輪島塗りの品の数々であったそうです。
そして、このお寺には「四」と「九」の付く日にうどんを作り食べるという習わしがあり、今日に続いていました。
この中世のことから「糸うどん」までのルーツについては平成元年にTBSのテレビ放送番組「いい旅日本」の、うどん街道をたどるシリーズの5回目で[ 能登路 謎の糸うどん街道 ]と題し全国に放映されるに解き明かされたことと、この番組に制作出演した当時うどん博士の異名で知られた国学院大学教授の加藤勇次さんが番組制作から得たものを寄稿された記事から伺えてくるものです。
藩政時代には、氷見糸うどんは加賀藩御用うどん、輪島の白髪素麺と呼ばれるものは加賀藩の御用そうめんでありました。
これは、どちらも古来からの手延べの粉食文化の歴史でもあります。
「糸うどん」の名は、これら手延べの製法に見られる、小麦粉を塩水でこねた麺生地から細長い紐状にまでしたものを手で縒りを掛けながら細く長い糸が作られていく様から名付けられるようになったのです。


富山の高岡屋では、この手打ち手延べ手よりの製法により手間暇かけ今日まで連綿と「氷見糸うどん」を作り続けて来ており、これは当地高岡屋一軒だけのことであります。
そしてこれは、江戸時代から今日まで経っても消えることのない素晴らしい製法のことなのです。

富山・高岡屋の氷見うどん(氷見うどんの製造)挿入画像=管掛け
 お取り寄せもできる純手製 富山の氷見糸うどん
 
 
富山氷見うどんと高岡屋
 
お取り寄せもできる純手製 富山氷見糸うどん
氷見うどん高岡屋本舗 本店
 氷見市伊勢大町1-6-7


当社、麺工房加納工場
(製造所固有記号 MK)
氷見市加納
高岡屋(池田家)が戦前に各博覧会で入賞していた富山氷見名物糸うどんは、先代の十二代目が忙しくなってきた昭和40 年代前期、この頃通信、情報、物流の産業が発達してゆき県内外からおいしいとのご好評が広がり急に注文が増えました。
そんな頃、氷見で手打ちや手延べとされるうどんを製造販売する所は当高岡屋一軒だけで、この好評とともにお客様や世間から「氷見うどん」「氷見のうどん」「高岡屋のうどん」「高岡屋うどん」とまったく新しい名称がつけれらて行くようになりました。
高岡屋に江戸時代の先祖から代々伝わるうどんは「糸うどん」であり「氷見名物」であってすべて人の手で作って「手打」としていました。
そしてそれは、能登から伝え江戸時代には加賀藩前田の殿様に献上していたということを誇りに宝暦元年から今日まで家伝にてその製法を門外不出しとして受け継ぎ励んでまいりました。
この来歴には、昭和47年氷見市役所発行の氷見百年史において〝うどんは藩政時代に加賀藩の御用達をしていた。現在の高岡屋うどんがそれで、今でも製法は家伝としてその伝統をついでいる。これは手打ち生うどんで、もと能登方面からその技術が導入されたといわれている。〟と記されています。
今では手延べうどんとするのが適正でありますが、ここにも手打ちうどんと記されており、これは当時高岡屋では全部人の手で作ったうどんを〝手打ち〟としていたことと、周りに同じ製法のうどんが無く市販のほとんどのうどんが機械製麺のものだったことからにもよるものと思われます。

高岡屋は江戸から明治の時代まで弥三右衛門という名前を襲名して来ており、先祖は高岡に住む加賀藩の馬廻り役を務める武士でありましたが、その役目を返上して氷見に移り住み町人になったと伝えられており、町年寄りの重責をになった者もいます。
創業の初代は加賀藩の御用商人で大した食道楽であったようで、1751年宝暦元年に、能登門前総持寺のうどんを作り食べる風習、能登輪島のそうめんの技術などを取り入れ「氷見糸うどん」を編み出したと伝えられています。
その「氷見糸うどん」が藩主の賞揚する所となったようで、以来13代
にわたって「糸うどん」の孤塁を墨守して来た高岡屋です。

そして時代文化は進み、この高岡屋古来の糸うどんを基に生まれた技で
「手延」とする氷見糸うどんを加え、さらにその伝統の味と技に力を注いでおります。


富山の名物氷見うどんをお取り寄せでお楽しみいただけますので、是非ご賞味ください。

 
 
通常のうどんとの違い
 

国内で多く販売され食されている通常のうどんに対し、富山高岡屋のうどんは手延べとされる製法の種類の物で、そのシェアーはかなり少ないものです。
通常のうどんに比べ当社のうどんは、歯切れの良くもっちりとした強いコシとなめらかな口当たりの良さがあります。
これは、当社特有の手延べや縒りを掛ける製法から生まれる、きめ細かで強いグルテンの立体構造へと鍛えて得る食感からのものです。
これら食感は、当社のうどんが乾めん、半乾燥めんですので、何時でも自分好みの茹で加減に調節することができ、何よりも麺の茹でたてという一番の美味しさを引き出すことができます。
また、煮込んでも、茹で置いても強い特長があり、これら重宝な点はさらに保存性の良い当社の乾めん、(半乾燥めんは冬季75日夏季45日保存可能)にていつでもご用意できますので、ぜひお取り寄せなどしていただき、ご賞味ください。なお、当社の純手製の商品「一糸伝承」は、上記の麺質さらに高岡屋職人により完全な手作りから生まれる素朴で風雅な味わいに仕上げています。

★ 当社の氷見糸そうめん、氷見糸冷めん(冷麦)も手延の製法から作られます。