富山・元祖高岡屋の氷見うどんの製法は二通りあります。
一つ目は、氷見うどんの元祖である氷見糸うどん純手製「一糸伝承」の製法。
二つ目は、その元祖の製法をもとに生まれた「手延」の製法があります。
氷見うどんの元祖の製法は、当高岡屋に唯一江戸中期から270年以上に渡って受け継がれて来た、家伝職人のすべて手作業により手打ち・手延べ・手縒りによる技で作り上げる完全手造りの門外不出のうどんです。
そして、この元祖の伝統の技を基にして生まれた製法のものが「手延」とする製品に注がれ加わっています。
これらは、どちらも手延べうどんとされるうどんですが、元祖の方は江戸時代から続く手延べで、全国的にも稀で日本三大手延べうどんの歴史ともされ、その伝来の歴史をご紹介します。
富山氷見うどんの元祖氷見糸うどん「一糸伝承」は高岡屋創業の初代弥三右衛門が、能登門前の総持寺、能登輪島のそうめん座から技術などを採り入れ氷見の地で「糸うどん」の製法を編み出したと伝えられています。
その能登には、中世に中国に留学した禅僧がさらに進んだそうめんを持ち帰り広まったとされ、これが能登門前にある曹洞宗の大本山総持寺祖院の僧侶に関与し、能登輪島のそうめんにつながったとされています。
そこで、当高岡屋の氷見名物糸うどんのルーツはこの総持寺ではないかとされております。
鎌倉時代に開山したこのお寺は、最盛期には全国1万6309もの末寺の頂点に君臨し各地から大勢の僧侶達が訪れて「一夜住職」を務め、寺を預かる資格を得て故郷に帰っていく。その時に全国に持ち帰って広まったのが素麺であり輪島塗りの品の数々であったそうです。
そして、このお寺には「四」と「九」の付く日にうどんを作り食べるという習わしがあり、今日に続いていました。
この中世のことから「糸うどん」までのルーツについては平成元年にTBSのテレビ放送番組「いい旅日本」の、うどん街道をたどるシリーズの5回目で[ 能登路 謎の糸うどん街道 ]と題し全国に放映されるに解き明かされたことと、この番組に制作出演した当時うどん博士の異名で知られた国学院大学教授の加藤勇次さんが番組制作から得たものを寄稿された記事から伺えてくるものです。
藩政時代には、氷見糸うどんは加賀藩御用うどん、輪島の白髪素麺と呼ばれるものは加賀藩の御用そうめんでありました。
これは、どちらも古来からの手延べの粉食文化の歴史でもあります。
「糸うどん」の名は、これら手延べの製法に見られる、小麦粉を塩水でこねた麺生地から細長い紐状にまでしたものを手で縒りを掛けながら細く長い糸が作られていく様から名付けられるようになったのです。
富山の高岡屋では、この手打ち手延べ手よりの製法により手間暇かけ今日まで連綿と「氷見糸うどん」を作り続けて来ており、これは当地高岡屋一軒だけのことであります。
そしてこれは、江戸時代から今日まで経っても消えることのない素晴らしい製法のことなのです。
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